大判例

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最高裁判所第一小法廷 昭和42年(オ)900号 判決

上告人

株式会社恵比須電話店

代理人

橋本勝井

被上告人

大東京信用組合

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人橋本勝井の上告理由第一点について。

銀行の貸付金債権について、債務者に信用を悪化させる一定の客観的事情が発生した場合には、債務者のために存する右貸付金債務の期限の利益を喪失せしめ、同人の銀行に対する預金等の債権につき銀行が期限の利益を放棄し、直ちに相殺適状を生ぜしめる旨の合意が、差押債権者に対する関係においても効力を有するものであることは、当裁判所の判例とするところである(最高裁判所昭和三九年(オ)第一五五号同四五年六月二四日大法廷判決)。

ところで、本件において、原審の確定するところによれば、被上告組合と訴外株式会社川口化成研究所(以下訴外会社と略称する)との間には、前者の後者に対する貸付金債権について、訴外会社に対し強制執行、仮差押等の手続が開始されたときは、なんらの通知、催告を要せずして、訴外会社の被上告人組合に対する債務は当然期限の利益を失う旨の合意がなされたというのであるから、かかる合意が訴外会社の本件預託金返還債権を差し押えた上告人に対する関係においても有効と解しうべきことは、右判例の趣旨に徴して明らかである。されば、これと結論を同じくする原判決は相当である。所論引用の当裁判所の判例は、前掲大法廷判決によつて変更されたものであるから、それを前提として原判決を攻撃する所論は採用し得ない。

同第二点について。

手形の不渡異議申立手続に関し、手形債務者が支払銀行に預託する預託金の返還債務の履行期は、本来、支払銀行が、手形交換所から、手形の不渡異議提供金の返還を受けた時に到来するものと解すべきことは、当裁判所の判例とするところであり(最高裁判所昭和四三年(オ)第七七八号同四五年六月一八日第一小法廷判決参照)、これと異なる所論は、ひつきよう、独自の見解にたつて原判決を論難するに帰し、採用し得ない。

同第三点について。

本件の如き預託金は、元来、手形の不渡異議申立手続を委託するために支払銀行に預託されるものであつて、特定の手形債権の支払を担保し、その信用を維持する目的のもとに提供されるものではなく、また支払拒絶事由が存在しないことが確定したときは手形債権者に対する支払に充てられるべき趣旨も当然に含んで預託されるものでもない。したがつて、手形債権者は、右預託金またはその返還請求権について、自己の債権の優先弁済に充てられるべきことを主張しうる地位を当然に有するものではなく、また、支払銀行が、手形債務者の右預託金返還債権を、手形債権者との関係において、他の一般債権者と区別し、これと手形債務者に対する反対債権とを相殺しえないと解すべき何らの理由もない。このことも、また、当裁判所の判例とするところであつて(第二点について引用する当裁判所の判例参照)、その趣旨に徴すれば、本件において、被上告組合が、訴外会社に対する貸付金債権をもつてした本件預託金返還債権との相殺が、当然信義則上許されないものと解すべき理由は存しない。したがつて、原判決に所論の違法はなく、所論は採用し得ない。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官大隅健一郎の意見、および同入江俊郎、同長部謹吾の反対意見があるほか、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

裁判官大隅健一郎の意見は、次のとおりである。

私は、本判決の結論には賛成であるが、論旨第一点に関し、多数意見とは若干見解を異にするので、この点の意見を附加しておきたい。

本判決の多数意見が引用する当裁判所大法廷判決の多数意見は、本件のごときいわゆる期限の利益喪失約款の効力に関し、それが契約自由の原則上有効であることは論をまたないとして、一般的にこの種の合意が有効であり、かつ、第三者にも対抗しうるもののごとく述べており、本判決の多数意見もまた、これを引用することによつて、右約款の有効であることの理由としているのである。しかしながら、かかる合意が、契約当事者間において有効であることはともかくとして、これが差押債権者にも対抗しうるものであるかどうかについては、第三債務者と差押債権者との間の利益を比較衡量して、問題の解決をはかるべきであり、この見地においては、銀行その他の金融機関における取引の実情に鑑みれば、一般にその取引約定書中に本件のごとき約款の存することは取引界においてほぼ公知の事実であると認められるが故に、かかる合意が差押債権者に対しても対抗しうるものとすることができるのである。このことは、右大法廷判決における私の意見において述べたとおりであるから、その詳細については、それをここに引用する。

私は、以上の見地に立つて、本件のごときいわゆる期限の利益喪失約款が差押債権者たる上告人に対抗しうるものと解するのであり、その限りにおいて、多数意見の結論に賛成するものである。

裁判官入江俊郎、同長部謹吾の反対意見は、次のとおりである。

多数意見は、その引用する大法判決と同じ見解のもとに、本件の如き期限の利益喪失約款が有効であり、かつ、これが差押債権者にも対抗しうるものとしている。しかしながら、その前提をなす差押と相殺に関する右大法判決の多数意見が採りえないものであること、したがつて、また、本件の如く、差押に対して相殺権を確保せんがための合意が、差押債権者に対して対抗しうるものとしえないことは、右大法廷判決の反対意見において述べたとおりである。すなわち、債権者が差し押えられた場合において、第三債務者が差押債権者に対し、債務者に対して有していた反対債権をもつてする相殺は、右反対債権の本来の弁済期が、被差押債権のそれよりも先に到来する場合に限られるのであつて、相殺に関する当事者間の合意も、右の限度においてのみ差押債権者に対抗しうるものと解すべきである。その理由の詳細は、右大法廷判決の反対意見および、これが引用する当裁判所昭和三六年(オ)第八七七号同三九年一二月二三日大法廷判決、民集一八巻一〇号二二一七頁の見解と同一であるから、それらをここに引用する。

しかるときは、原審の確定するところによれば、本件における被差押債権である預託金返還債権の弁済期は、昭和三九年一〇月一六日であり、被上告組合の訴外会社に対する貸付金債権の弁済期は、同月二四日および二五日であつたというのであるから、被上告組合は、上告人に対し、右貸付金債権をもつて、本件被差押債権と相殺することは許されないものと解すべく、この相殺の抗弁を認容し上告人の本訴請求を排斥した原判決は、右相殺に関する法令の解釈適用を誤つたものというべきである。しからば、論旨第一点は理由があるに帰し、原判決は、その余の判断をまつまでもなく破棄を免れない。そして、原審の確定した事実関係によれば、上告人の被上告組合に対する本件預託金五〇万円およびこれに対する転付命令正本送達日の翌日である昭和四〇年二月二三日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める本訴請求は理由があるから、被上告組合に対し、右金員を支払うべき旨の判決をすべきものである。(長部謹吾 入江俊郎 松田二郎 岩田誠 大隅健一郎)

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